ゼルダの伝説
任天堂
1986.2.21発売
©1986 Nintendo
32インチ画面の迫力
私が中1の時、当時ディスクシステムを持っている人はクラスに1人しかいませんでした。その友だちは仲良し4人組の1人。家に行けば超豪邸だし、テレビは当時では珍しい32インチで、15インチのテレビでファミコンを遊ぶ我が家とはまるで別世界でした。そこで出会ったのが、『ゼルダの伝説』。32インチの大画面で見たこのゲームの迫力には圧倒されましたね。ボスキャラという概念を知ったのも、このゲームが初めてだったと思います。
あれから数十年経ちましたが、最近子どもがこのゲームを楽しんでます。良いゲームは何年経っても受け入れてもらえるんですね。
寄稿:緑リンク 男 1973年生 東京育ち 建築営業
笛を吹きまくり、木を燃やし尽くし、岩肌を破壊
これは特に裏ゼルダが印象深いですね。裏ゼルダは攻略本も無く、今のようにネットもないし、周りにプレーしてる人もいなかったので、自力でクリアしました。とにかくハイラル全土で笛を吹きまくり、すべての木を燃やし尽くし、岩肌を破壊しまくり……。いったい修理代に何ルピー払ったんだろう?(笑)
「ドラクエ」と違って、戦ってもレベルアップしないから、スタート時は「?」でしたが、テクニック・知恵・探究心・記憶力・ひらめき、と脳みそをフル活用して謎を解き、強くなっていくバランスが絶妙です!
とくに隠し階段や動くブロックを発見したときの効果音! 努力が報われた瞬間でした。嬉しくって胸がドキドキしました。このゲームも本当に時代と共に風化しませんね。文句の無い名作です。
寄稿:みよたん 女 1975年生 東京育ち 主婦
ゲームでの初恋相手
小学校くらいかな、近所の友だちがディスクシステムとともに購入したゲーム。僕は横で見てるだけやったけど、ファンタジックな音楽と画面に、「これは面白そうだ!」と感じていました。
結局ディスクシステム自体の操作もいまいちわからないままだった僕ですが、強烈な印象とともに「ゼルダ」の名はしっかりと刻み込まれていたみたい。時は過ぎ、今はゲーム程度ならなんでも買えるようになった僕だけど、いまだに初代ゼルダはやってないんだよね。64、キューブ、Wiiと、ゼルダのためだけにハード購入するほど愛しているのにさ。
女の子に対する初恋って、恥ずかしいようなそんなもんだけど、ゲームでの初恋は「ゼルダ」。それは胸をはって言える。「あいつはほんっとにいい女やったんやって」って。
寄稿:もぐたん 男 1974年生 香川育ち 看護師
小技をいろいろと
ディスクシステムを発売日に買って、相当はまり込んだなぁ。くだらない技を飽きずに繰り返していた記憶がある。
- ローソクから炎を出した瞬間にダンジョンに入り、ロード中に「ボー」という音を鳴らす。
- ブーメランを投げた瞬間にダンジョンに入ると、階段を降りる音がしなくなって「エレベーター」。
- 赤ローソクを使い、出した炎に跳ね飛ばされながらトライフォースを取ると、赤や青のリンクが決めポーズ。
- ブーメランを投げた状態でマジカルブーメランを取り、空中で入れ替える。
- アイテムを取る時はいつもブーメランを投げた状態で、モノを掲げている時に腰でキャッチ。
- アクオメンタス相手に笛を吹きまくる。
- デグドガが見えた瞬間に笛を吹く。
- ホワイトソードを取ってから普通の剣を取る。
移植版はこの辺が弱そうなのでやってないな。
寄稿:allen 男 1971年生 兵庫育ち 会社員
「ママにはナイショな」
発売当時、家ではゲームが1日1時間が鉄の掟であり、1時間をこえると容赦なく電ブチでした。そんななか、ねだってねだってようやく買ってもらったこのゲーム(なぜかディスクシステムはあった)。嬉しくて嬉しくて、取りつかれたように毎日プレーしてました。
その姿を見ていたからなのか、ゲーム大反対派だった親父が「それ、そんなに面白いのか?」と食いついてきました。ためしにやらせてみると、意外にも好感触。嬉しかったのを覚えてます。
後日、夜中にトイレに起きたら親父が真っ暗な部屋の中やってました(笑)。僕に気づき、「ママにはナイショな」といった親父の顔、忘れられませんw
寄稿:ピーチャン 男 1981年生 埼玉育ち 販売業
役割分担して父も熱中
よく夜遅くまで、父とふたりでお互いが知恵を振り絞って謎を解いていったのを覚えています。父の解いた謎は、「ぶつぶつ」でした。当時6歳の私が物々交換など知るよしもなく、まさに父のお手柄。逆に第7迷宮の入り口を直感で言い当てたのは私でした。この2つの謎に関しては、今でもふたりの会話の中で思い出話として出てきます。
死んだら交代と言って、ふたりでかわりばんこに遊んでました。私はルピーをためるのが面倒臭く、サクサク進む性質で、父はちまちまルピーを貯める性質でした。また、タートナックなどの強い敵に囲まれると怖くなって父に代わってもらいました。あと父はフィールドの曲をいたく気に入り、よく口ずさみながらプレーしていました。
ゼルダに熱中したのは私よりも父のほうです。父がゲームにここまで熱中したのは、『ゼルダの伝説』と『リンクの冒険』だけで、この2本のソフトを神の如く崇めていました。ですが、その後はまったくゲームに興味を持っていません。
あの当時は、ほかのお父さんたちもゲームに熱中している時代でした。そして私たち子供は次々に発売されるソフトと絵の進化に限りない未来を予感し、興奮を分かち合った幸せな時代でした。
寄稿:neo2 男 1980年生 山口育ち 学生
書き換えを繰り返す
500円でプレーできるのはすごいと思った子供時代。生まれて初めて遊んだゲームが『ゼルダの伝説』です。
モンスターがうようよいて、当時、剣がどこで手に入るのか知らず、剣なしでは難しいので他のゲームに書き換えました。すると友人が、「最初にあった洞穴の中にあるぞ」と言ってたので、また書き換えました。
はまりにはまって毎日していたけど、クリアできずに数ヵ月後、『リンクの冒険』が書き換えスタート。『ゼルダの伝説』より簡単そうだったのでさっそく書き換える。しかし、間違えて『ゼルダの伝説』のデータが入ったディスクに書き換えてしまい、しかたなくまた『ゼルダの伝説』に書き換えました……。
いくら書き換えが安くても、書き換える数が多く『ゼルダの伝説』をクリアするのに4〜5千円かけました。親からは金の使いすぎだといわれてディスクシステムを没収されました。とほほ……。
寄稿:ゼルダマニア 女 1978年生 京都育ち
Bボタンのみでクリアー!?
どこかの掲示板に「Bボタンのみでクリアーしました」なんて書いてあったので、半信半疑でプレーしてみました。レベル4のグリオークで、何を使っても倒せず、はい終了!と思ったら、マジカルロッドで斬りつけられました! お〜!18年ぶりに感動!
これはもしや?と思い、即行でガノンの部屋に到着! 暗闇の中、必死になってマジカルロッドを突き刺すが無反応。そしてガノンに瞬殺!・・・終了。自分のアホな意思に忠実に動くリンクを見て、さらにこのゲームが好きになりました。
寄稿:ひでちゃん 男 1973年生 東京育ち 係長代理
同級生にも評判となった父のマップ
当時、母の渋い顔にもかかわらず、ディスクシステムを買ってきたのは父でした。
まずは表面クリア。裏面に入って・・・父は絶叫。「表と全然違うやないか!」その日から父の戦いが始まりました。大学ノート(これも懐かしい)に迷宮のマップを書き込み、「ひまわり」(花の形をしたモンスター)「わいろ」(「ミンナニハナイショダヨ」)などと書き込み、ゆっくり休むはずの日曜日に私たちより早く起きだしてプレーしている始末。そして父のマップは完成を見たのでした。
このマップは遊びに来た同級生たちの間で評判になり、私がいない日曜日にも「おじさん、マップ見せて」と同級生が押しかけるという騒動になったのをよく覚えています(笑)
寄稿:ひぼたん 女 1975年生 三重育ち 主婦
ファミコンミニ『ゼルダの伝説1』の向こうに見える、あのときの父との交流
ディスクシステム。大容量で、データセーブができて、しかも格安でゲーム書き換えができる・・・当時の私にとって、とってもあこがれでした。
私が11歳の時、父が念願ディスクシステムを買ってくれました。そして第1弾のゲームが『ゼルダの伝説』。とにかくうれしくて、かなりやりこみました。それこそ1日でクリアしたりとか(笑)。裏もあってびっくり。2度おいしかったです。やっぱり、ディスクシステムのゲームはスゴイ、って感じ(笑)。
でも一番印象的だったのが、地下迷宮のBGMです。パイプオルガン風の音色で、綺麗だけどどこか不安と心細さを感じさせる和音のこの音楽、これは普段自分の好きなゲームにまるで関心の無かった父も、大変お気に入りでした。
しかしその後、ディスクシステムの恩恵を享受するため(?)、『リンクの冒険』に書き換えました。そしてしばらく父から、「あの音楽よかったのに〜」とウラまれておりました(汗)。結局、その後プレーした「ゼルダ」は、本作のみ。
父は健在ですが、病を患って完全隠居。幼い頃に見慣れた元気な父ではありません。ちょっとだけでもゲームの話題で父と盛り上がった当時の雰囲気が、今思い返すと懐かしいです。思い出として、GBAも無いのに購入したファミコンミニの『ゼルダの伝説1』を眺めつつ。
寄稿:いつしまあじし 男 1975年生 東京育ち プログラマー
500円のディスク書き換えだけでもプレーできることに感謝
誰もが知っているディスクシステムの記念すべき第1作目のソフト。本体と同時に購入された方も多いかと思います。
私の周りでは発売日に本体を購入したヤツは1人しかいませんでしたが、そいつは家に友だちを招くことがほとんどないくせに、「カセットの容量ではあのゲームはできん」とか、「途中でもデータを残すことができるぞ」とか、自慢話ばかり聞かされ、苦汁を飲んだ記憶がある。
半年ほどしてディスク本体を購入し、「メトロイド」や「ドラキュラ」の後に『ゼルダの伝説』に書き換えて、あのタイトル画面が我が家のテレビに鳴り響いた時はホント感動した。
またゲームの方も、見た目こそはチマチマしたキャラですが、内容そのものは最高の出来で、これを500円の書き換え料だけで可能にした任天堂にはホント感謝です。私はこのことを恩に思っているのか、あの自慢話がトラウマになっているのか、ゼルダの新作はたいがい購入している。
3Dゼルダを必ずしも絶賛しているわけではありませんが今後も買い続けるであろう。
寄稿:ババモZ 男 1972年生 愛知育ち 平社員
ナイショニシテマシタ
ディスクシステムの記念すべき第1作目ソフトということで、本体の発売と同時に購入した思い出の一品です。
いきなり画面の真中に放り出された主人公の姿を見て、何をすれば良いのか分からず、とりあえずあたふたしてみたり。でも、今でもファミコン史上最高級のRPGだと思える一品でした。(個人的にはDQやFFよりも、当時は上だと思えました。)
何がよかったって、そりゃあもう、至る所に隠されたほら穴!! 画面内にある全ての物を押してみるわ、爆弾をしかけるわ、火をつけるわ、挙句の果てには笛を吹いて竜巻に飛ばされてみる始末。ほら穴探索に要した時間は計り知れません。しかし、時々鳴り響く「チャリラリラララーン」の効果音の誘惑にはかないませんでした。
「ミンナニハナイショダヨ」そんなモリブリンの台詞を忠実に守った私は、自分のノートにほら穴ポイントを記入し、マル秘ノートとして誰にも見せることなく大事に保管してました。
寄稿:ピチパラキング 男 1974年生 広島育ち 会社員
ミンナニハナイショダヨ
恐らく自分にとって一番の名作ソフト。
数々の迷宮を攻略、多少謎解きもあったりして、すっかりのめり込みました。ボスの居る部屋の近くまで行くと、扉の向こうからボスの唸り声みたいなのが聞こえて、「この先はヤバイ!」と判断、弱点のヒントや武器を探しにもう一度来た道を戻ったり。
基本的にはこの世界に味方はほとんど居ないんだけど、時々洞窟内のモリブリンが、「ミンナニハナイショダヨ」と言って、若干のルピーをくれることもありましたよね。みんながみんな悪い奴等じゃないんだなぁ、と子供心に嬉しく思ったものです。そういった人間味のあるポイントが端々に散りばめられているのも、このソフトの良いところのひとつです。
すごく冒険心をかきたてる音楽、特に謎が解けたとき(隠し洞窟を見つけたり)の音楽は、シンプルながらとても秀逸です!
と、ここまで絶賛しながらも実はクリアしたことはありません。・・・ミンナニハナイショダヨ。
寄稿:katsu 男 1977年生 福島育ち 金融業
「裏」まであって素晴らしい
ディスクシステム1本目のゲームにして最高のゲームだと思います。
「表」だけでも十分おなかいっぱいなのに、「裏」があったのには驚きました。裏は幼い自分には難しすぎて、オープニング後の「セレクトシテクダサイ」の剣を持ったリンクの、名前の下の数字が3桁になったのは言うまでもありません。
「裏」があったゲームで内容が素晴らしかったのは「女神転生1」と「ドルアーガ」と「ゼルダ」でしょうね。もちろんゼルダが一番です。
3年程前に裏をプレーしていましたが、レベル6と8の入り口がわからずやめてました。またやりたくなったなあ・・・。
寄稿:コペンマニア 男 1973年生 高知育ち 地方公務員
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